銀行員はお嫌いですか

緩く、弛く、ゆるく

アメリカ横断ウルトラクイズというオバケ番組の役割を想う

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「ニューヨークに行きたいか!!!」

「何か言い残すことは?」

福留功男さんの名台詞が印象に残る『アメリカ横断ウルトラクイズ』を記憶している方は多いのではないでしょうか。当時非常に人気のあったクイズTV番組です。

ふとウルトラクイズのことを思い出しネットで調べると1977年~1992年までが主な放送でした。30~40年前と考えると、古い番組です。

視聴率は非常に高く第10回ぐらいまでは25%前後でした。

私は、毎年のように楽しみにしていました。家族で見る毎年恒例の番組だったのです。

この番組は日本経済が絶頂を迎える時期(いわゆるバブル)に重なっており、製作費も多額だったのでしょう。今の日本のTV番組にはない活気に溢れていたように思います。

毎回、アメリカを横断しながら、巨大なモノ、めずらしい場所、過酷な場所を観る楽しみ。

突然クイズが出題され、敗者となればすぐに帰国させられる緊張感。

そこには、戦勝国であり超大国であるアメリカへの憧憬があり、そして敗者にもスポットライトがあてられた人間模様がありました。

今思うと、アメリカ横断ウルトラクイズとは、アメリカ、そしてアメリカンドリームへの日本人の憧れが人気の根底にあったものと思います。

この時期のハリウッド映画で展開されるアメリカの情景は、アメリカという超大国への強烈な憧れを日本人へ植え付けていました。

また、番組初期(1977~1985年)は、日本国外へ脱出できた挑戦者の大半が海外旅行初体験であったという時代背景が「海外という異文化の驚き」を与えていました。

アメリカ横断ウルトラクイズは、日本が世界に向けて敗戦後に再挑戦し、そして成功を収めた時期の番組であり、視聴者のアメリカへの憧れと興味を上手くつかんだ番組だったのだと思います。

そんなアメリカ横断ウルトラクイズは、番組開始年の1977年には年間315万人強だった日本人の海外旅行者数が、番組末期の1990年代には番組開始時の3倍を超える年間1000万人超となり(Wikipediaからの引用)、アメリカという舞台がめずらしくなくなったことから、徐々に視聴率が低下していきました。

アメリカ横断ウルトラクイズとは、海外旅行が一般的ではなく、まさに日本が(幻想だったとしても)海外に追いついこうとしていた時期であったからこそ、視聴者を惹きつけることができたのでしょう。

中国で同じような番組を作ったら、人気が出るのではないかと思う今日この頃です。

(以下はボードゲームです。懐かしくて買いたいと思ったら強烈な高値で断念しました)