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金融庁長官のブロックチェーンサミットでの発言

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日本経済新聞社金融庁主催のブロックチェーンサミット「Blockchain Global Governance Conference 、FIN/SUM Blockchain & Business (フィンサム)」の閉会の挨拶で、氷見野金融庁長官がビットコインの産み親である「サトシ・ナカモト」の理念について触れています。

https://www.fsa.go.jp/common/conference/danwa/20200825.pdf

この講演録は英語なのですが、COIN POSTというところが和訳を掲載していましたので、それを引用します。

金融が信用を根幹に置いていること、その信用を得る仕組みが変わるかもしれないこと等、非常に示唆に富んでいる内容です。仮想通貨(暗号資産)に興味がない人、ブロックチェーンをうさん臭く思っている人こそ、この講演録は読んでみる価値があるように思います。ブロックチェーンという技術がどのような意味・意義を持つのか、本当に分かりやすく説明されています。

2008年10月、世界の金融システムは、大暴落の危機に瀕していた。長年にわたり実績を積み重ねてきた金融システムは、その信頼を失いつつあった。G7の金融大臣と中央銀行総裁は、ワシントンDCで会合を開き、最初のアクションプランは救済措置に関する話題、つまり「システム的に重要な、金融機関を支援するためのツールと予防策のために、断固とした行動を取り、利用可能な全ての手段を使う」というテーマで協議した。

この信頼の危機の中で、サトシ・ナカモトは、ビットコインに関する技術的な論文を公開した。サトシ・ナカモトは論文の中で、経済の中核インフラである決済システムが、信頼できるサードパーティを介在せず、P2P(ピア・ツー・ピア)で構築できることを記述した。匿名の人間から受け取ったビットコインが、信頼できて、かつ真正であることを担保するのに、造幣局、銀行、規制当局、中央銀行、金融大臣、警察官、検察、裁判所、軍も必要としなかった。この提案は、プルーフ・オブ・ワーク、タイムスタンプ、ビザンチン断層などの使用概念は、私たちがこれまで慣れ親しんできたシステムの本質について、深く考えることを助けてくれた。

あれから十数年が経ち、今日、私たちは信頼という根本的な問題をもう一度深く考える必要に迫られているのかもしれない。信頼という社会の重要な構成要素には、いくつかの核となる構成要素があり、その中のいくつかは急速に変化している。

例えば、信頼の重要な構成要素の一つとして、対面での会議がある。対面式の会議は相手についての豊富な情報を提供してくれるし、私たちは動物的な本能と直感でそのような情報を解釈することにある程度の信頼を置いている。しかし、COVID-19(新型コロナウィルス)では、G20に参加している閣僚や政治家との会合から夜の軽い飲み会まで、多くの対面でのコミュニケーションをオンラインへ置き換わりつつある。自分の目で直接見たものを信頼するというモデルは、コロナ後の時代には多少の補足が必要かもしれない。

もう一つの信頼の土台となっているのは、情報のゲートキーパーとして働く、評判が高く、十分な訓練を受けたプロの編集者の存在だ。たとえば、ブリタニカ百科事典の編集者は、掲載するエントリごとに有識者を選ぶ。読者は百科事典に書かれている内容を信頼するだけでよく、検証する時間を必要としない。しかし今日、私たちはまずウィキペディアで匿名の著者によるエントリを読み、次に引用された出典や証拠を見る。私たちは必ずしも信頼するのではなく、検証をするのだが、一般的に検証にかかるコストが低くなってきているので、検証することを選ぶわけだ。

古き良き時代には、新聞の編集者が社会に流布される情報を大きくコントロールしていた。現在では、多くの人がSNSで見つけた、自身が気に入ったエントリだけを見ている。私たちは、自分が信頼したいから、というシンプルな理由でものを信頼することすらある。

政府もまた、信頼できるかどうかを検討する重要な要素だ。私が私であることを証明するために、パスポートや運転免許証を提示する。もし取引先が契約に違反して私のことを裏切った場合は、裁判所を経由して取引先に対し、政府から取引先に対して義務を果たすように通達するように求めることもできる。

しかし、分断と地政学的リスクが増大している今日の世界では、政府の一挙手一投足によって信頼の源が失われないよう、政府に基づく信頼に代わるオルタナティブ手段を残しておきたい、と考える人もいるだろう。さらに、場所に関係なく経済活動ができるようになりつつあることもあり、政府による執行の効力が薄くなりつつある可能性がある。

このように、従来の信頼の構成要素だけでは、これまで同様に機能するとは限らなくなりつつある。では、どのようにして信頼を構築していけばいいのだろうか。私が思いつく代替案や補完案としては、ピアレビュー、透明性、改ざん防止のためのタイムスタンプ付き記録、効率的な検証プロセスなどだ。これらがより大きな役割を果たすことになれば、世界は確かにサトシが思い描いたような方向に進むかもしれない。

サトシは、自身が提案したネットワークから信頼の要素を排除したわけではない。信頼できる第三者を、信頼できるノードのコミュニティに置き換えたのだ。マイニングを行うノードが、ネットワークを攻撃するために連携しないであろうと私たちが仮定している、という意味で私たちはコミュニティを信頼している。プルーフ・オブ・ワークのもとで活動しているノードは、あえてビットコインの価値を毀損するインセンティブがないと考えている。

ビットコインに対する信頼は、マイナーが費やした大規模な電力とマイクロチップに依存するようになってきた。それは、受け入れがたいほど資源の無駄遣いなのだろうか。そうかもしれないが、ブロックチェーンに限らず、ある種の「行動の証明(プルーフ・オブ・ワーク)」は私たちの身の回りにもある、と主張したい。行動の証明とは、真面目な人にしかできないと他人に思わせるほどのコストのかかるプロセスであり、そのようなコストを払うことが邪な意図によるものではない、と多くの人が受け入れるもの、と簡単に定義しよう。我が国のGDPの大部分が、このような行動の証明に費やされていると過言ではない。

また、顔に細かい彫刻が施された何トンもの紙幣、高級ビルの中にあるデザインに特徴あるオフィスで仕立ての良いスーツを着たビジネスマン、訪問する度に披露される美しくデザインされたプレゼンテーションスライド、洗練されたレストランでの接待、広告に登場する映画俳優、おしゃれな表紙が特徴的な書籍、あるいはカサノバが恋人に手渡すバラの束、有名な大聖堂での結婚の儀式などを頭に思い浮かべてください。

それらは、紙幣やビジネスでの提案書、広告に掲載される商品、本、恋愛、結婚などの本質的な価値とは一切関係がない。何兆トンものCO2が排出され、それに見合った金額が使われているのは、信頼や真面目さを印象づけるという目的のためだけだ。したがって、私たちの社会における信頼を生み出すためのプルーフ・オブ・ワークの役割を見直し、それをどのようにリエンジニアリングできるかを考えることは、私たちの社会的交際の効率性と有効性を向上させる大きな可能性を秘めている。

ブロックチェーンの設計課題と向き合うためには、信頼とガバナンスを構成する構成要素について深く考える必要がある。深く考えることができれば、その結果として得られる概念やツールは、社会全体の連携の幅を広げることにもつながるのではないか。

12年前にサトシが始めたイノベーションと探求のプロセスは、私たちの社会構造を深く考え、根本的な原因を探り、変革のための根本的な手段を模索するという、まさにラディカルな活動だった。

その努力は、コロナの時代にこそ必要とされているのではないだろうか。フェイクニュース、ハイパーグローバリゼーション、分断など、表面的な解決策だけでは解決し得ない問題にも通用する営みであると言えるだろう。

(出所 COIN POST https://coinpost.jp/?p=178852

私なんかは、本件を非常に興味深く読みました。

やはり貨幣は信用がベースです。

そして信用の獲得方法は、これから変わって行くのかもしれません。

面白い時代になったものです。