銀行員はお嫌いですか

緩く、弛く、ゆるく

正義という名の暴力が行使されていないか

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椎名林檎さん属する東京事変のライブ開催が強行され大きな批判を浴びてから、しばらく経ちました。

コロナ感染症拡大の初期には、自粛警察という言葉も聞かれました。

東出さんという俳優の方と、渡部さんという芸人の方が不倫で批判も浴びていました。

三浦さんという俳優さんの自殺の原因はネットでの批判ではないかと報道されていました。

テレビをほとんど見ない私でも、ネットのニュースぐらいは見ますが、そのニュースを見ていくと、私は日本国の世論(?)が正義という名の暴力を行使するようになってきているように思います。

例えば、椎名林檎さんのライブ開催については、「商業優先だ」「人命軽視だ」と凄まじい批判が巻き起こりました。ネットへの批判投稿が多かったと報道されていたように記憶しています。

これは、正論と言えば正論です。

感染を拡大させないために、人命を優先するために、行動を制限するのは必要なことでした(今も必要かもしれません)。

でも私は、正論を隠れ蓑に、成功者の足を引っ張るように世論の一部が動いている気がしてなりません。

自らが正しいことをしていると感じることが、その人の自尊心を高め、心に安定をもたらすのだろうとは思います。但し、本当に「その批判」は正しいことなのでしょうか。

不倫の報道を例にとると、いつまでも違和感が消えないのは、この芸能人は「誰に」「何のために」謝罪しているのだろうと私は思うのです。

記者会見を開き、「国民」に謝罪しなければ、四方八方から叩かれるのです。

しかし、不倫が良いとは思いませんが、不倫をして本当に謝罪すべきは、家族であり、お相手であり、仕事関係者ぐらいでしょう。国民に謝罪する必要なんてありません。少なくとも私は、芸能人が不倫をしたからといって迷惑をかけられたことはありません。むしろ、もっと大事なニュースがあるだろうから、このようなニュースを取り扱うのはやめたらどうだろうかと思う程度です。

なぜ、世論というモノが、不倫をした芸能人へ攻撃するのでしょうか。

誰にも反論されることがない「正論」で相手を攻撃することで、精神の満足を得ている人がいるのではないのだろうかと私は考えてしまいます。

正論は誰もが基本的に反論できないからこそ正論です。

但し、「正論は優しくはない」ことは多々あります。

人間という生き物は、間違えたり、悩んだりするからこそ、ヒトであるように思います。

もう少し寛容な世論に、寛容な社会になれば、コロナの閉そく感も薄れ、子供の笑い声が聞こえる、未来を感じられる、そんな社会になるのではないかなと思う今日この頃です。