今回は、日経新聞への一般読者の投稿記事についてご紹介したいと思います。
「新型コロナが私たちに突きつけているものとは?」という観点は様々に議論されています。改めて、考えてみるのは良いことだと思います。
以下はこの投稿記事から引用したものです。私にとっては印象に残った文でした。
■本当に必要なもの
平林思問(会社員、40歳)
「不要不急」を避けることは重要な対策の1つとなった。対象とされた業種では営業や事業の継続が困難に陥った。我々は「不要不急」に今までどれだけ恩恵を受けていたかを思い知るとともに、「不要不急」のものでもいかに継続的に活動していくかを考えていく必要ができたのではないだろうか。そもそも、本当に「不要」なのだろうか。文化、スポーツ、娯楽、レジャー、外食・・・。私たちがそれをなくして食べて寝るだけの生活だけを送ることは望んでいないだろう。しかし、反対に「不要」なものも見えてきたのではないか。毎日同じ時間に乗る満員電車。発言をしない会議の参加。宴会での無駄な食品の廃棄もあてはまるかもしれない。右肩上がりの経済成長で、「不要」なものを見ていなかったこともあるはずだ。新型コロナウイルスが私たちに突き付けているもの。それは、私たちが持続的な生活をするのに本当に必要なものは何なのか、ではないだろうか。
我々日本人が不要・不急だと選別してしまったものは本当に不要だったのでしょうか。
まさに、文化、スポーツ、娯楽、レジャー、外食等は、我々が「動物として生存する」ためには不要・不急かもしれません。
しかし、我々「人間にとって」は不要・不急でしょうか。
そのように考えるとコロナは、「豊かな生活とは何か」を突きつけてきている気がします。
文中にあるように満員電車での通勤、発言しない会議は、確かに不要かもしれません。でも、その満員電車があるから、英語の勉強ができたり、本が読めたり、ゲームができたりしているのかもしれません。また、発言しない会議でも、他者がどのように考えているのか、意思決定者のキャラはどのようなものか、等を学ぶ良い機会かもしれません。
「人間にとって、何が必要で、何が不要なのでしょうか」
「豊かな生活とは何でしょうか」
これに答えはありません。
でも、我々一人ひとりが考えるべきなんだろうと思います。